中原の雄・オーファン王国。
その名は、西部諸国はもちろんのこと、遠くオランにも広く知られている。
「英雄王」リジャール、「剣の姫」ジェニ、そして「偉大なる」カーウェス。
邪竜・クリシュを倒した3人の勇者が建国した新興の国だ。
特に、魔術師ギルドの導師見習という立場の私、ティア=マナリスにとって、勇者リジャールの活躍よりもカーウェス師のそれのほうをよく知っている。
魔術の奥義を使い、後にオーファン建国王となるリジャールを大いに助け、建国の後は魔術師ギルドの最高導師とオーファン宮廷魔術師の大役を兼任したことは、私だけでなく、すべての魔術師の誇りとも思えるのであった。
そんなオーファンの首都・ファンの町並みが、私にも見えてきた。
すでに、早まる鼓動を抑えることができなくなっていた。
すでに、早まる歩調を抑えることができなくなっていた。
そんな私の気持ちが伝わったのか、肩にとまっている私の使い魔・クックルも先ほどから落ち着きがなくなっていた。
私は、自分の気持ちの高ぶりを鎮めるために、先を急ぎたいのを抑えてその場に立ち止まり、クックルに向かって左手を差し出しながら語りかけた。
「クックル、どうしたの?」
クックルは、羽をばたばたさせながら、私の手に飛び乗った。私は、ちょうどクックルの顔が私の顔の前に来るように手を移動させながら、その手に右手も添えた。
クックルは、相変わらず羽をばたばたさせて、忙しなく咽を鳴らした。
「私は、大丈夫。急がなくたって、お母さんに会えるんだもん。」
私は、クックルを落ち着かせるために、わざとゆっくりと言った。それとともに、私もクックルのことをじっと見つめることで、気持ちの高ぶりを抑えようと努めた。
クックルは、はじめこそ落ち着きなく羽をばたつかせ、手の中であちらこちらと動き回り鳴きつづけていたが、しばらくすると次第に静かになっていった。
私はクックルを肩の上に戻すと、鎮まった気持ちを抑え込むようにゆっくりと歩を進め始めた。

私は今、タラントの山岳特殊部隊「スペシャル・マウンテン・サービス」、略してSMSの変形分隊長という立場にあった。
そんな私が、なぜファンに向かっているのか、疑問に持つものも少なくないだろう。たとえば私が逆の立場に立って見ていても、私はその人のことを不思議に思うだろう。
私が遠路はるばるファンまでやってきたその理由は、実は私の身内の事情にあった。
私がこの旅に出るきっかけとなったある人が、ここで生活しているということを、今まで苦楽をともにしてきた仲間、ティムとマグジーから聞いたからだ。
その話を聞いた瞬間、私の心が弾けそうなくらいにうれしく思ったものだ。あのとき私は、二人に何度もお礼を言った。それとともに、こみ上げる涙が止まらなくもなった。
今、母はファンにいるんだ。ファンに行けば母と会えるんだ。早く母に会いたい。会って母の胸の中で思い切り甘えたい。
そんな想いが、私の体のほとんどを支配しようとしていた。
しかし、次の瞬間、私は自分の立場を思い出し、戸惑った。まるで迷宮の中をさまよっているかのように。というのもは、そんな私の気持ちを縛るものがあったからだ。それがファンドリアからの侵攻を受けて大きな被害を出したタラントの復興事業と、SMSの分隊長という立場だった。
復興事業のほうは今まさに始まったばかりであるし、分隊長としても、前の戦いでタイデルへの使者として道中から一緒にいた部下 ――当時は、まだ「仲間」同士という間柄だったが――に対しての責任もあった。
しかし、結局最終的には母への思いのほうが勝っていったのは当然のことだろう。
ひとまずは復興事業に精を出す一方で、上官に1ヶ月間の暇をもらうことにした。
それが許可されると、上官に部下を託して、私は一人ファンに向かったのだった。

ファンの街に通じる門の警備は、先に侵攻を受けたタラントほどではないにしろ、しっかりとしたものだった。
おそらくファンドリアから通じる街道ならばもっと厳しい検査が行われていたのだろうが、私が入ろうとした西門はオーファンにとって脅威となり得ない西部諸国に通じる街道であるせいか、それほど厳しさを感じる検問は行われなかった。
とはいえ、私はSMSの一員であった。ということは、鰾膠もない言い方をすると「タラントの軍人」なのだ。
オーファンとタラントの関係はそれほど悪いというわけではない。しかしだからといって、今街中に入ろうとしている人物が他国の軍人であると分かれば、面倒なことになりかねなかった。
しかし、今回私はSMSのメンバーとしてファンを訪れたのではない。実際には一旅人と言う身分であり、よってSMSのメンバーであることを証明するものも持ち合わせていなかった。そのため、何の苦もなく街の中に入ることを許された。
今まで、私はファンの街のことを魔術師ギルドの講義の中でしか耳にすることはなかった。というのも、その講義を受けた時、私はまだ東方のオランにいたからだった。オランに限らず、たいていの魔術師ギルドでは西方語の読解や会話といった講義が開かれている。私もタラント行きが決まったときにこれらの講義を受けたのだが、やはり西方の地理に関しての講義も併せて行われた。だからこそ、私も机上の話だけとはいえ、オーファンやファンの町のことを詳しく知りえたのだった。
私の知識では、ファンの街は決して治安が悪いというわけではなかった。というよりは、近隣の大都市の中では比類ないほど治安がよいとのことだった。
しかし、こうして実際に街中を歩いてみると、思っていた以上に好感を持てるものだった。
相手が一介の通りすがりの旅人であるにもかかわらず、道を尋ねられた人はみな親切に行きかたを教えてくれた。そればかりか、近所に行く用事があるからと一緒に来てくれる人までいた。この街の治安がいかによい物かと言うことが、このことからも窺い知れた。
そのとき道案内をしてくれた中年女性は、希しくも私と同い年だった。その女性は、ハーフエルフを見ること自体が初めてだということで、遠慮気味ながら私の年齢を尋ねてきたのだった。私が正直に本当の年齢を答えると、彼女は驚いた顔をして自分も同じ歳だと打ち明けてくれたのだった。それと同時に、エルフの血を引くハーフエルフである私の老化の遅さを非常にうらやましがった。私がそれに対して「貴女もまだまだお若いですよ?」と答えると、非常にうれしかったらしく、それからしばらくの間、打ち解けた雰囲気での会話を楽しむことが出来た。
その女性が別れ際に教えてくれたとおりに歩いていくと、私が目標としていた建物が現れた。そこはリュウゼンの自宅だった。思っていたよりも大きく立派な建物だった。ここでは母のほかに3人のメイドが働いているとティムから聞いていたが、それに見合ったほどの大きさだった。
私は、苦もなく敷地の中に入ることができた。門衛はいるにはいたが、要件を告げるとあっさりと中に通してくれたのだった。一瞬、あまりに無防備に感じてなんだか不安になった。しかし、よく考えてみたらリュウゼンほどの人だから私がここに来るということを事前に知っていたのかもしれなかった。
私はそのまま屋敷には入らず、裏手のほうに回ってみた。母がよくそこで庭仕事をしていると聞いたからだ。
もうすぐ母に会えるんだ。待ちに待った瞬間が、やっと来るんだ。
そう思うと自然と足も速くなっていった。すでに逸る気持ちを抑えることは私には不可能となっていた。
はたして、母はそこにいた。そこで何か野菜でも作っていたのだろうか、小ぢんまりとした畑があって、そこで草をむしっていた。
その姿は、かつてテロ組織「スプリット」のメンバーとして暗躍していた時のものでも、記憶喪失のまま精霊部隊の顧問としての任務に没頭していたときのものでもなかった。母と私が近隣の村民の夜襲を受けて生き別れになる前の、あの優しさと強さを兼ね備えていた頃の母の姿そのものだった。
「お、かあ、さん・・・?」
私の口から、母を呼ぶ声が自然について出てきた。その言葉に反応して、庭仕事をしている母の手がぴたりと止まった。そして、ゆっくりと顔を私のほうに向けた。最初はその顔を大きな驚きが支配していたが、それがすぐに喜びに取って代わった。
「ティア・・・・・・?」
母は立ち上がると、私に言葉を返した。
「本当に、本当のお母さんなの?」
私は目の前にいる母に対して尋ね返さずにいられなかった。先のつらい記憶が、テロリストとしての母の、記憶喪失の母の記憶があったから。
しかし、母は情愛の念を顔で示しながら、首を縦に振って答えてくれた。
「ええ、そうよ。そうよ、ティア」
その言葉で、私の気持ちは一気に高ぶってきた。
あの忌まわしき日から今まで、何度もこの日が来ることを待ち望んでいた。そして今日、それが実現したのだった。
やっと、やっと昔のままの母と会えたんだ!
そう思うと、私はあふれる涙をこらえようともせず、そのまま母に向かって一直線に走っていった。途中でクックルが驚いて私の肩から飛び立ったことすら気がつかなかった。
私は母に向かって駆け寄ったそのままの勢いで、この世で最も愛する人の胸の中に飛び込んだ。母のあの懐かしいやわらかな匂いが、私の鼻を衝く。
母はそんな私を力強く受け止めると、私の体をやさしく抱きしめてくれた。
「お母さん、ずっと会いたかったよ、お母さん・・・。」
私は、それだけ言うと、気持ちの奔流に身を委ね、母の腕の中で泣きじゃくった。
うれしかった。本当にうれしかった。このまま世界が滅んでしまってもいいとすら思った。
「ええ、私も、お母さんも、ずっとティアと会いたかったのよ」
母も泣きながらそう返してくれた。
「ごめんね、今まで心配をかけてごめんね、ティア」
母は、私の肩に回していた左手を離し、私の頭を撫でながら、何度も何度も謝罪の言葉を口にした。しかし私はもう何も言うことができなかった。ただただ、母の肩が涙でぬれるのもお構いなしに、首を横に振ることしかできなかった。
母と私は、しばらくの間お互いの胸の中で泣き続けていた。そのもつれ合った姿をそばに立つ小ぢんまりとした木の枝に止まったクックルが見ていることも気が付かないままに。

「さあ、お母さんにかわいい娘の顔をゆっくりと見せて頂戴?」
しばらくすると気持ちが落ち着いてきたのだろう、母はそういうと私の顔を自分のほうに向けようとした。
私は涙でくしゃくしゃになった顔を見られるのが恥ずかしかった。しかし、母はそんな私の顔の正面に自分の顔を覗かせた。
「あらあら、そんなに泣いちゃって・・・。あなたのかわいい顔が台無しよ?」
母はそういうと、懐から手巾を取り出し私の目頭を拭いながらくすくすと笑った。私は、恥ずかしさのあまり首を激しく横に振った。
でも、同時に素直に喜びたい気持ちもわいてきた。今まで捜し求めていた昔ながらの母を取り戻したという実感が、今になって感じられるようになったのだ。
しばらくして気持ちが落ち着いてくると、私はもう一言「本当に会いたかった」といった。
母も同じように「私もよ」と返したあと、
「それにしても、ティアも強くなったのね」
といった。話を聞いていると、どうやら、タラントでの戦いで私が放った「ライトニング」の魔法のことを言っているようだった。
それに対して私は、母を捜すための力になるかもしれないから古代語魔法を勉強したと返事した。
そのとき、母が少し悲しそうな顔をしたのを私は見逃さなかった。
「お母さん、どうしたの?」
よもや、私が古代語魔法の勉強をしたことで母が気を悪くすることはないだろう。だからこそ、なぜ母がそのような顔をしたのか私は気になった。
「本当に、あの時以来ずっと、ティアに苦労をかけちゃったのね・・・」
しばらく経ってから、母は言った。
そのことで、私には母が何を言いたかったのか理解することが出来た。
普通、古代語魔法を学ぼうとする人は、魔術師ギルドに入るか、ギルドから脱退した魔術師から教えてもらうかのどちらかを選ぶことになる。私の場合はオランの魔術師ギルドに入門したので前者のパターンになるのだが、どちらにしても導師の門下生となるまでに膨大な費用を必要とする。また一度入門しても、そのあと魔術師として独り立ちするまでの間にも非常に多くの金を費やすのだ。その金額の桁があまりに多いせいで、ギルドに入るのは金満の貴族の子供だけであるとの噂がまことしやかに流れている。
しかし、私の場合はほとんどお金のない状態で帰るべき家を失ってしまったため、まず生き延びるために仕事を探す必要があった。
そこで私は隊商の護衛をすることで生活費とギルドへの納付金を稼ぐことにした。
私の場合、エルフの集落で生活していたため精霊に慣れ親しんでいたし、剣の心得もあったので、ある程度は重宝された。戦いそのものが苦手ではあったが、もともと隊商には女気がないせいか、仕事がなくて困った記憶はほとんどなかった。私が女であるということそれだけの理由で仕事が舞い込んでくるというのも複雑な気分ではあったが、金が必要な時期とあっては仕方なかったし、ある意味ありがたかった。
私が実際に魔術師杖を授与されたのはずいぶんあと、オリーに誘われて冒険者稼業を始めてからのことだった。
「本当に、ごめんなさい。お母さんのことを許して・・・。」
しばらく無口になったせいか、母がもう一度謝罪の言葉を口にした。
「ううん、そんなことはないわ、お母さん」
それに対して、私はかぶりを振った。
確かに苦労したのは確かだった。けれど、そのおかげで今の仲間たちに会うことができたのも確かだった。
実の妹のように愛らしく、それでいていつも凶刃から私のことを守ってくれたシェリー。
包容力があり、そしていつも私のことをよく理解してくれるフェリア。
母探しのためにわざわざこのファンまで来てくれていたティムとマグジー。
そして、いつも精神的支えになってくれたメイラン。
ほかにも、ハーフエルフの私に対しても昔からの仲間のように受け入れてくれたオリー、
か弱かった私のことを信頼してくれていたウィスパード。
ほかにも、魔術師ギルドの仲間としていつも明るい笑顔を振りまいてくれたドルフや、豪商の娘ながら冒険者稼業にあこがれ、私たちを頼りにしてくれたアニス。
あの事件がなかったら、そしてあの時苦労をしていなかったら、今でも私は一人ぼっちだった。こんなにもすばらしい仲間に会うことはなかっただろう。
あべこべな話だが、このときだけは私たちの家を襲ってきた村人に感謝したい気持ちだった。
「でもね、あの『ライトニング』の魔法をあなたが使うのを見たから、お母さん、実は安心しているの。もうティアは私がいなくても一人で生きて行けるんだって」
そう母に言われると、私はなんだか恥ずかしくなり、ちょっと目を背けた。少し頬が朱に染まっていたかもしれなかった。
「うん、大丈夫。私は大丈夫よ、お母さん」
私はそう答えた。
もう、母には心配をかけたくなかったから。もう、母には私のことで泣いてほしくなかったから。
私は、もう一度母の感触を楽しもうと両手を母の背に回した。それに答えるかのように、母も柔らかく私の体を抱いてくれた。
そんな二人の目には、もう光るものはなかった。

「お母さん、今日は仕事しなくていいの?」
しばらく抱きしめあったあと、私は何気なく聞いてみた。母は今リュウゼンの自宅で小間使いをしていると聞いていたので、もしかしたら今日は忙しいのではないかと思ったのだ。
しかし、母の口から出てきたのはちょっと意外な話だった。
「今日は休みなの。というより、昨日突然10日ほど休むように言われたのよ」
私は少々驚いた。リュウゼンはおそらく私のファン滞在が今日から10日間であると事前に知っていたに違いなかった。尤も、あのリュウゼンならば人の予定を事前に知ることくらい容易いものなのかもしれない。そう考えると妙に納得できるのだった。
しかし、次の台詞にはさらに驚かされた。
「10日間の間なら、外泊だって、ファンからあまり離れなかったら街の外に出てもいいんですって」
「えぇ?そうなの?」
私はリュウゼンが私の滞在予定が10日間であることを知っていたこと、そしてそれだけの暇を母に与えたことには、たしかに大いに驚いた。
しかし、それ以上にうれしい気持ちのほうが大きかった。
今から10日間、母と水入らずの生活ができるんだ!10日間も母に甘えることができるんだ!
私は、三たび母を力強く抱きしめた。それに応じて、母もまた、私の体を両腕で包み込んでくれた。母と私はそれから長い間抱きしめあった。クックルは、相変わらず近くの木の枝に止まったまま、どこか優しげな視線を私たちに送っていた。

私は、母の自室で、母自身の手で淹れてくれた紅茶を飲みながら母の近況を聞き、そのあと近くの宿屋に2人部屋を借りた。
もちろん、母と私の2人だけの時間を過ごすためだった。
そして今度は私自身の、生き別れてからの話を母に聞いてもらっていた。
そのほとんどは、以前タラントで記憶喪失だった母にしたことのある話だったが、あの時とは私自身の気持ちも違っていた。
あの時は、「母でありながら母でない」という気持ちが強く、些か緊張しながら他人行儀な話し方しかできなかった。
しかし、今度は違う。私が話をしている相手は、昔ながらの母なのだから、自然と話も弾んでいった。
母も、一度聞いたことのある話であるにもかかわらず、いやな顔ひとつせずに私の言葉に耳を傾けてくれた。あるときは驚き、あるときは笑ってくれた。私には、それが非常にうれしかった。
ただ、フェルディさんのことに話が及ぶと、母はちょっと寂しそうにつぶやいた。
「一度、フェルディアリサに挨拶に行かないとね・・・」
その気持ちは、私にもよくわかっていた。母も本当はすぐにでもフェルディさんに会いに行きたいと思っているに違いなかった。しかしリュウゼンの小間使いという母の今の身分では、それはとても叶わないことだった。
二人の間にしばしの沈黙が訪れた。私は母の決して浅くはない心の傷口を広げてしまったのだろうか。ちょっと気まずい気分のまま、サイドテーブルに置いてある燭台の上で常にゆらゆらとその姿を常に変えるろうそくの炎を見つめていた。
母は気を取り直したように、そして私を元気付けるように言った。
「でも、これから一生彼女に会えないというわけでもないんだし、挨拶はそのときでもいいわね」
その言葉に、私は助けられた。
「うん、そうね。また行きましょ」
私はそういうと、力強くうなずき返した。

その日の夜は、母と枕を並べて床に就いた。
それなりに立派な宿だったので、ベッドの広さも、布団の柔らかさもちょうどよい具合だった。もし一人で床に入っていたら、すぐに寝入ってしまっていたことだろう。
しかし、今日は同じベッドの中、すぐ横に母がいた。
2人部屋を取っていたので、ベッドも2つあった。本当ならば母と私は別々のベッドで寝ることもできたわけで、いい大人である私がこの歳になって母と一緒にねるなんて恥ずかしいところだったが、久しぶりに再会したのだから今回だけはいいだろうと自分に言い聞かせていた。母もきっと同じように思っていただろう。
「お母さんと一緒に寝るのなんて、何年ぶりかしら」
私は母に尋ねてみた。あまりのうれしさに、その気持ちが声にまで出てきてしまうのは仕方ないところだろう。
「そうね・・・。私たちの森に引越ししたときも最初のうちは一緒に寝てたから、それ以来かしらね」
「うん、そうだね」
私は答えて、大きく息を吸った。久しぶりに感じる布団と母の匂いが心地よかった。
私はしばらく仰向けになって考え事をしていた。タラントからここまでの道中は決して楽なものではなく、硬い地面の上で寝起きしすることもあったので相当疲れていたはずだった。なのに、この晩ばかりはとても寝付けそうになかった。やはり、再会を果たしたことで相当興奮していたのだろうか。
「ねえ、ティア、ファンでは何かしたいことはないの?」
不意に母が声をかけてきた。母もやはり寝付けなかったのだろうか。
そのとき初めて、魔術師ギルドに立ち寄る以外に用事がないことを思い出した。
そのことを口にすると、母はちょうど良かったとばかりに言った。
「もしよかったら、明日買い物に行かない?」
「うん!行こう!」
私は即答した。
思えば昔は二人で森の中を走り回ったことはあっても、街の中で一緒に歩いたことはなかった。それが買い物という形で実現したことで、私の心の底からまた新たな喜びが湧いてきた。
「じゃあ、何を買おうかしらね。服?それともアクセサリ?」
母のその声は、非常にうれしそうだった。やはり母も私と同じ気持ちだったのだろうか。
「どっちも!」
「あらあら、欲張りね。でも時間はたっぷりあるから、別に明日一日で回る必要ないわね。またゆっくり決めましょ」
私はまたも即答すると、母は苦笑交じりに応えた。
母のその意見は、私にとって異存であるはずもなかった。
私は買い物の約束を母と取り交わすと、今度こそ眠りにつこうと瞼を閉じた。
しばらくすると、先ほどはあれほど寝られなかったのが嘘のように、すぐに深い眠りに入っていった。

それからというもの、夢のような日々が続いた。
再会を果たしたあの日の翌日には、母と2人で買い物をした。
最初はそれほど買う予定もなかったのに、店をいろいろと見ているうちに服を新調したくなった。
次々と新しい服を買いたいところだったが、さすがに旅の途中という身分ではそういうわけにも行かず、結局2着買うにとどまった。でも、非常に気に入った服なので、これからも何かと着ることになるだろう。
(この服着て帰ったら、フェリアさんやシェリーちゃんは、どういう顔をするかしら?)
と、ふと想像してみる。それだけでもすごく楽しかった。
その次の日は、アクセサリを買った。母がネックレスを買っていたのを見たので、私もおそろいのものを買うことにした。
それと、母がどこかに行ったちょっとした間にペンダントも買った。そのとき私は、母にも内緒のあることをしようと思ったのだ。このペンダントで母を驚かせよう。そのときの母の顔を想像するのも楽しいことだった。
そのような感じで毎日のように街に繰り出し、表に出されている売り物を見て回ったのだった。
そしてこの日は、ファンの街から程近い小さな森に来ていた。
母が移動できる範囲内で、森といえるものはここしかなかったのだ。
わざわざ街を出てここに来たのは、久しぶりに、私たちの森の中でもそうしていたように、母と一緒に体を動かすためだった。
母は、手近に落ちていた小振りの枝2本を拾うと、そのうちの一本を私に手渡した。
そして母は、宣言するように言った。
「いい?私とティアは今だけは敵同士。そのつもりでかかってらっしゃい」
「うん。私、あまり剣のほうはほとんど練習していないけれど、がんばるわ」
私は、その言葉にそう返して、緊張したままうなずいた。
そして武器代わりの枝を右手に構えると、挨拶代わりに2本の枝の先端をお互いにあわせ、1歩ずつ後ろに下がった。
それから数瞬の間、母と私は身動きひとつせずに対峙した。
先に仕掛けてきたのは母のほうだった。鼓膜を刺すような声とともに、手に持つ枝を突き出した。
あまりにも速いその一撃を、私はかわすことしかできなかった。私も反撃を試みたが、これはあっさりと母の振る枝に遮られた。
それから数回攻防を繰り返したが、力の差は歴然としていた。
母は以前からそうだったが、今はそれ以上に正確に、すばやい一撃を繰り出してきた。それに加えて、その攻撃には重さが加わっていた。私が繰り出す攻撃を母に払われるたびに、手が痺れるような感覚を覚え、枝を取り落としそうになったほどだった。
しかも、私のほうは何合かしているうちにいい加減に息が切れだしてきたのに、母のほうは至って平然としていた。
そしてついに。母が上から振るう枝に、私の得物が振り落とされた。母はすかさず次の一撃を横から繰り出してきた。
私は後ろに下がって辛うじてその攻撃をかわしたが、それが最後だった。母は枝をすっと引っ込めると、必殺の突きを繰り出してきたのだった。
もう避けられない!
私は思わず目をつぶった。
恐る恐る目を開けると、私の首のすぐのところで母の持つ枝が止まっていた。
私は視線を母の顔のほうに移した。
そのときの母は、今までのような、娘である私ですら恐れ戦くような形相ではなく、あくまでも自らの血を分けたものに対しての愛情を表したような顔をしていた。
「ティア」
母は、私に声をかけた。
「あなたの剣の腕前、確かに昔と比べてそれほど上達していないかもしれない。でも、昔と比べると悩みがないというか、だいぶ自信のようなものを感じられるようになったと思う。やっぱり今まであの頼もしい仲間と冒険を重ねてきたからかしらね?」
そういうと、母はこの上ない笑顔を見せてくれた。
私も、その顔を見てすごくうれしくなった。
母が、私の剣のことでほめてくれた。そのことでも、私の心は浮き上がっていった。
「でもね、ティア、あなたにはあの頼もしい仲間がいるんだもの。シェリーちゃん、マグジーさん、そしてティムさんといってたかしら?前に出て戦うのは彼らに任せて」
そこで、母は一息つくと、こう続けた。
「それに、古代語魔法を操れるのはあなたしかいないのだから、戦いの練習は自分の身を守れる程度にしておいて、あとは古代語魔法のほうに専念なさい?」
そういうと、母は私にうなずいて見せた。
そんな母を見て、私はうれしさがこみ上げてくると同時に、今まで私が進んできた道が間違っていないことを確認できた。
「うん、わかったわ。でも、私も古代語魔法以外のことをもうちょっとがんばってみるね。」
そう、私が第一に目標としている人に少しでも近づくために。
そう私は心の中で付け加えると、微笑みかけてくれる母に対して無上の笑顔を返した。

それからしばらくの間、母と私は剣の練習を続けていた。そう、昔、私たちの森の中でそうしていたように。
相変わらず私は母に手も足も出せなかったが、それでも私は満足していた。
先ほどの母の言葉があったから。
私の心に迷いがなくなったから。
そして、今後私が進むべき道がはっきりと分かったから。
私は、激しい練習のために流れ落ちる汗の中で、それでも笑顔を絶やすことはなかった。

楽しかったファン滞在も残すところ2日となった。
その間、ほとんど毎日、母と会話をしたり、買い物をしたり、街から一歩出てのハイキングを楽しんだりした。
本当に夢のような出来事ばかりだった。
そしてこの日は、ミードで知り合ったアニス=ガララーガを交えて3人で食事を楽しむことになっていた。
今までもミードで、オランで食事を共にすることはあったが、ファンに来てからは初めてで、もちろん母やアニスと食事をすることも初めてだったので、非常に楽しみにしていた。
母は、その準備のため外出しており、私は一人、宿の二人部屋で、特に何をするでもなく、日が傾き始めたファンの街を眺めていた。
ちょうど夕飯を支度している時間であるせいか、あちらこちらの煙突から煙が立ち昇っており、風向きによってはおいしそうな食事の匂いが漂ってきた。匂いをかぐだけでメニューを想像してしまい、そのたびにお腹の虫が鳴きそうになるのを、私は必死にこらえていた。いくらその音を聞く人がいないとはいえ、それは私にとって恥ずかしいことだったのだ。
(今頃、みんなは何をしているのかな・・・)
きっと、シェリー、メイラン、フェリアの3人や、私の仲間、もとい部下の6人はSMSの訓練にいそしんでいるのだろう。
マグジーは、もしかしたら今頃は宝石を弄っているのかもしれない。
ティムは、盗賊ギルドの中で何をしているのだろう。
私は空腹を紛らわそうと思い、長い間寝食を共にし、苦楽を分かち合ってきた仲間としばらく会っていない寂しさもあったのだろうが、そのようなとりとめもないことを考えていた。
そのとき、扉をノックする音が聞こえた。この叩き方は母のものだった。
「はーい」
私は返事すると、中側から扉を開けて、母を招き入れた。
「ごめんなさいね、思ったよりも時間がかかってしまったの」
「ううん、大丈夫よ」
母が申し訳なさそうに切り出したが、私は笑顔でそれに応じた。
「それよりも、いつここを出るの?」
アニスと対面するのはオランを出てからでは初めてだった。
正直、久しぶりの再会を楽しみにしていたし、オラン滞在中に、母に会いに行く私たちのために、上等な客室を用意してくれたお礼も言いたかった。
また、冒険者でもあるアニスに、あれからの私たちの冒険の話も聞いてもらいたかった。
そんな積もる話がしたかったのだ。
母は苦笑しながらそんな私に落ち着くように手で示しながら言った。
「アニスのほうも準備がいろいろとあるようなの。その準備が終わる頃にここを出ましょう?」
私はその言葉に異論があろうはずもなかった。アニスは豪商の令嬢であり、いろいろと準備をしないといけないこともあるだろう。私はそのときそう考えた。
尤も、それは必ずしも正解ではなかった事をすぐに知ることになったのだが。
母と私は、それから雑談をしながら時を過ごした。二人が宿を出てアニスの屋敷に向かったのは、それからちょうど半刻ほど経った後のことだった。

「お母さん!ちょっと、これどういうことなの?!」
私は、アニスの自宅の一角にある部屋を出ると、恥ずかしさのあまり母に詰め寄った。
着慣れない服装で大股で歩いたせいか、誤ってスカートのすそを踏んでしまい、
しかも履きなれない靴をはいていたせいか、足をくじきそうになりバランスを崩した。
そんな私を見て母とアニスは苦笑をもらしたものだから、私は堪らず顔を赤くしながら視線を二人から逸らした。

今私が着ている服は、普段から着慣れているものでも、今回の旅で買い足した服でもなかった。その代わりに纏っていた物は、鮮やかなまでにまぶしい赤のシルクのドレスだった。そして両手には肘まである同じ色した長い手袋、足にはやはり赤い色をした、かかとの高い靴。
女性なら誰でも憧れるような豪華な衣装だったが、予告もなく何の心構えもなくこのような服を着せられて、私の頭の中はパニックになっていた。
母と私がアニスの自宅につくと、門衛はすぐに庭に入れてくれ、玄関に入ると、まるでこの瞬間を待ち侘びていたようにアニスがそこにたたずんでいた。
そこまでは何の疑問もはさまなかったのだが、それからすぐに、有無も言わさずアニスと母に背中を押されて、強引に更衣室に連れ込まれたのだった。慌てふためく私をよそに、そこにいた4人のメイドは、実に手際よくそれまで纏っていた衣類を脱がせ、私にドレスを着せると、これまた馴れた手つきで化粧を施した。
あまりに突然の出来事のせいで何もできない私をよそに、私のメッシュの髪には足し毛が施され、結い上げられ、そこかしこに髪飾りを挿していった。
もちろん、耳飾、首飾も施され、ご丁寧に腕飾まで身につけさせられた。
そうして出来上がった変わり果てた自分自身の恥ずかしい姿に、自分を取り戻し、そのようなことを企んでいた母とアニスに詰め寄ったのだった。

私は転びそうになった原因となったドレスを、仕方なく両手で持ち上げるようにして二人に詰め寄った。
そういう二人も、今は平服を身に着けていなかった。
母は薄緑の落ち着いた色調のドレスを、アニスは深い青色をしたドレスを身に纏っていた。
しかし、普段から着慣れているだろうアニスはともかく、母まで自然にドレスを着こなしているのには内心驚いた。もしかしたら、普段からアニスあたりと高級レストランに頻繁に行ってるのではないだろうかというほどだった。
私に詰め寄られても動じないと思っていたが、案の定二人は平然と私が歩み寄ってくるのを見つめていた。
「ティア、似合ってるわよ?とってもきれいよ?」
直接手が触れるくらいまでに私が近づくと、母は笑いを押し殺すかのように、右手で口を隠しながら言った。
アニスがその横でうなずき同感の意を表してから
「前もってエリスさんからサイズを聞いておいてよかったわ」
といったものだから、さらに恥ずかしさがこみ上げてきた。
もしかしたら、先日服の買い物をしたときに店員に採寸してもらったのをすべて盗み聞きしたのだろうか?
「どう?気に入った?」
そうたずねる母の声はちょっと心配そうに聞こえた。
(なぜもっと早く言ってくれなかったの?)
私はそう言おうとしたが、喉まで出掛かっていたその言葉を我慢した。
もしかしたら、母は私が気を害したのではないかと心配になったのかもしれなかった。きっと、母は私に心の底から喜んでもらおうと思って、今の今まで隠していたのかもしれなかった。そんな母の気持ちを踏みにじるようなことが、私にはどうしても出来なかったのだ。
「ううん、それどころか気に入ってるんだけど・・・」
私は俯きながら首を横に振り、恥ずかしいと付け加えた。
アニスはその言葉にほっとしたようだったが、母は申し訳なさそうに
「驚かせてごめんね、ティア。でも、本当に喜んでもらうには、こうしたほうがいいと思ったの」
といった。
その言葉に、私は先ほど押し殺した言葉を口に出さなくて良かったと安堵の気持ちを覚えるとともに、またも母の強い愛情を感じた。
私は精一杯に笑顔を作ると、
「恥ずかしいけれど、うれしいわ、お母さん」
といって、その場で一回りしてみせた。
母は、それを聞いて安心したように笑顔で答えると、私の両肩を軽く抱き寄せてくれた。
アニスも同様にほっとした表情を顔に浮かべて、そんな私たちを見つめていた。
そのとき、玄関から初老の召使が入ってきて、私たちの元に歩み寄ると、馬車が到着したことをアニスに伝えた。
アニスは「ありがとう」と召使に返すと、
「では、準備も整ったようだし、行きましょ」
と私たちに言った。
その言葉に釣られて、母と私はうなずいた。
そして3人は連れ立って玄関に向かった。

それからの数時間は、初めての体験ばかりだった。
私が乗ったのは、見るも豪華な馬車だった。
私たちが今までのような生活をしている限り決してこのような馬車に乗ることはないだろうというような代物だった。
そのような豪奢な馬車に、私は母とアニスに向かい合うような形で座っていた。
シートのクッションは柔らかく、身体的に疲れることはなかったのだが、着ている服も含めて、今まで体験したこともないようなことばかりだったので、精神的に疲れていた。
対照的に、母は隣に座っているアニスとなにやら談笑していた。あるときは今までアニスが手に入れた珍しい商品のことを話し、あるときは母がアニスに対しておいしい料理を作っている店の話をしていた。
普段ならば話の輪の中に入っていくことができたのだが、とてもそのような気分ではなかったので、一人後ろから前に流れていく町並みを眺めていた。もう夕食前という時間帯であるせいか、町の中で立ち話している女性は少なく、その代わり勤め帰りの男性や買い物を終え家路を急ぐ女性の姿が多かった。そして陽気に遊びまわっている子供たちも多く見かけることが出来た。
私は元気に走り回っている子供たちが、羨ましく思えた。
私の生まれたセシュの村は、ハーフエルフに対して排他的という、典型的なエルフの村だった。私自身がハーフエルフだったので、私の幼少時代は一緒に遊んでくれる友人は皆無に等しい寂しいものだった。いくら母が遊び相手の役割を演じてくれたとはいえ、これは容易に埋め合わせのできないことだった。
「どうしたの?ティア?」
唐突に、正面から呼びかけられ、私は思わず声がした方向に顔を向けた。見ると、母が些か心配そうな顔をしていた。
正直に言うと、また母を悲しませる結果になりかねないので、適当にごまかすことにした。
「うん、ちょっと慣れない事ばかりで疲れちゃったかな?」
すると、母は
「あらあら、ティアもそろそろこういうことに慣れておかないとね」
そう言うと、表情をころっと変えておかしそうに笑った。
私もそれに釣られるように笑い、また顔を外に向けた。
馬車はもうじき高級住宅街に入ろうというところまできていた。
さすがに庶民の姿は少なくなり、その代わり貴族や富豪に仕えていると思われる身なりの人々が目立ってきた。
その割合が増えてくると、やがて馬車は大きなレストランの前にたどり着き、ゆっくりと止まった。
しばらくすると、今まで馬車の御者を務めていたのであろうアニスの召使が、馬車の扉を開けた。
私は、母に促されると、アニスと母に続いて外に降り立った。

私たちが建屋の中に入ると、待っていた給仕が即座に対応してくれた。そしてその給仕に従って店の中に入っていった。
当たり前のことだが、そこは今まで私たちが飲んだり食べたりしていた冒険者の店と比較にならないほど豪華な店だった。
そして、もちろん客としてそこに座っていた人たちも完璧なまでに正装を着こなしているような人たちばかりだった。
私自身も盛装しているにもかかわらず、このようなところを歩くのは場違いであるようにも感じていたし、何よりも恥ずかしさのほうが先にたった。ここに穴があったなら、ゴブリンの巣穴であってもいいから隠れてしまいたいという気分だった。
しかも、その先客たちの多くは私たちに視線を向けると、感嘆の声を漏らしていたので、さらに恥ずかしい気分になった。
私は歩を進めながら思わず俯いた。
それでも私たちに向けられる視線は減ることがなく、逆により多くの視線を惹きつける結果となってしまった。
私は顔がすごく紅潮していることに気がついた。おそらく周りの人にも化粧を通してそれと分かるであろう位に。でも、どうしようも出来なかった。
私たちに宛がわれた席に行き着くまで非常に長い間歩いたような気がしたが、その席に就くと、ようやく少し落ち着いた。
見ると、母は私の今の有様をみて微笑みかけていたが、アニスは笑いをこらえるのに必死であるようだった。
私が困ったような視線をアニスに返していたので、彼女もようやく平静を取り戻したようだった。
私たちがついた席はこの料理店の窓側に位置しており、しかも小高い丘の中腹にあったので、この窓からファンの町を望むことが出来た。すでに日がヤスガルンの稜線に隠れるくらいにまで時が経っており、街にはちらほらと明かりが灯されていた。
食事のメニューは予め決められていたようで、こちらから特に注文を出すこともなく次々と料理が出てきた。
このような高級料理店ではおなじみのメニューもあったが、初めてみるような料理も混じっていて、目を楽しませてくれた。料理の名前を聞いてもチンプンカンプンな物ばかりだったが、味のほうはさすがに格別だった。
しかし、私が楽しめたのは目と口だけで、それ以外の部位は寛いでいるとはとてもいえないような状態だった。音を立ててはならないこの場で、時々カチャと音を立ててしまい、そのたびに冷や汗が出た。アニスは目だけで周りを窺い、母は心配そうな視線を私に送ってきた。
しかし食事も終わりに近づくと、さすがに私にもゆとりが出てきた。それからは、小声ではあるが、アニスや母と色々な話をした。

「ごめんなさい。ちょっと席をはずしますわ」
アニスは突然そういうと、席を立ち、薄暗い店の奥のほうへと消えていった。
それを見送った母は、視線を私のほうに戻した後、唐突に予期しない質問を投げかけてきた。
「ティア、あなた、好きな人はいないの?」
その台詞を耳にして、私の血液は一気に顔に駆け上った。
そして、今まで気がつかなかった私の気持ちのひとつを、いやが応にも認識させられた。
もしかしたら、もしかしたら・・・。
その人は、私が理想とする人、つまり母と同じく、強く、それでいて優しい一面を持っていた。そればかりか、頭脳のほうも冴えていて、精神的な拠り所にもなっていた。
ただ、私がその思いを成就するための障害となる決定的な点があった。
その彼は、ハーフエルフを嫌っているということだった。
今でこそ私のことを「仲間」としてみてくれているが、だからといってその関係が「恋人」関係へと昇華する事はありえないと思う。その最たる理由が、「私がハーフエルフだから」ということだった。
それでも、私は見る見る顔が熱くなっていくのを感じていた。
「・・・・・・あのエルフの男性ね?」
母の口から発せられたその一言で、私ははっとなって母の顔を見た。
もしかして、母は最初から、私が気づく前から気がついていたのだろうか・・・?
「だって・・・、だって・・・・・・。」
私は反論しようとしたが、それから先がつながらなかった。なぜなら、私自身でも、私の気持ちが良くわかっていなかったのだから。
それはそうだろう。
私は、あの日から、母と生き別れになったあの日から、生きて再び会うことだけを目標としてきたのだ。だから、母の手がかりを見つけたら、それがどのようなものであろうと、それのみに一心不乱にしがみついたのだ。誰かを愛するという感情は湧かなかったし、そのようなことを気に留める余裕もなかったのだ。
しかし、ようやく母との邂逅を果たすことが出来た。そして、人生最大の目標といってもいい事柄を達成して、生まれて初めて恋という感情を胸に抱いたのだ。戸惑うのも無理はないことだろう。私はそう思った。
母は続けた。
「だって、この前あなたの今までの冒険の話を聞かせてもらっていたときも、あの人の話をするときはすごく目が輝いていたわよ?」
私は、たまらず母から目をそらした。
(あ、あれは、ただ単に、彼が精神的な拠り所になってくれていたから・・・!)
そう反論しようとしたが、ついに私の口からその言葉が出てくることはなかった。
「分からない、私には、分からないの、お母さん・・・」
私は、やっとの思いでそのせりふを口にした。
それに対して、母は納得したように、うなずきながら言った。
「・・・そうね、ゆっくり考えなさい?」
おそらく、私の気持ちが揺れていることに、母も気がついていたのだろう。もしかしたら母が私を見てそれを感じ取ったのかもしれないし、母も昔同じような思いを抱いたのかもしれなかった。
どちらにしても、母がそういってくれたので、私は幾分救われたような気がした。
「それに、ティアのその恋を成就させるのは、すごく大変よ?」
「うん、分かってる」
母の指摘に、私は素直に頷いた。
「ありがとう、ありがとう、お母さん。」
私は、母にそう言った後、心の中で付け足した。
(もしこの想いが通じたらそれでいい。もしこの想いに気がつかないなら、私はずっと想い続けよう。たとえあの人にこの想いを拒まれても、よき仲間として慕っていこう。)
そして、私は窓から外を見る母の視線を追った。辺りはすっかり暗くなってしまったが、その分先ほどよりもいっそう街の明かりは増えていた。その様子はさすがに大都市だけあって、まるで砂金をちりばめたように見えた。
しばらくしてからアニスも席に戻り、中断していた談笑の続きを楽しんだ。

そしてその翌日。
私は、午前中は母を驚かせるための仕上げのために魔術師ギルドに赴いた。最初は母に対して申し訳ないと思っていたが、ちょうど母も用事が入っていたらしかったので、ちょうど良かったと思った。
そして母と落ち合って昼食を取り、その後剣の練習やピクニックなどで何回も足を向けていた森の中に入った。
とは言っても、今日の目的は戦いの練習ではなかった。
その代わり持ってきたのは、ハサミやブラシなどの道具だった。
昔そうしていたように、私は母に髪を切ってもらうためにここに来たのだった。
無論、母と別れてから今まで髪にハサミを入れたことがないわけではなかったが、今まではせいぜい肩に届くかどうか位の長さに切ってもらうだけだった。母と生き別れになったときの髪の長さに切ってもらうのは、母と再会してからと決めていたのだった。
私は適当な大きさの切り株を見つけると、そこに飛び乗るように座った。母に髪を弄ってもらうことが、本当に待ち遠しかったのだ。
母は苦笑しながら「相変わらずね」といって、私の後ろに立った。
私は、母に髪を切ってもらうのが大好きだった。
髪を切ること自体も嫌いではなかったが、何よりもその間母と二人だけの時間を過ごすことができるのが一番うれしかった。
「本当に、久しぶりね」
母はそういいながら、慣れた手つきで私の髪を切って行った。
(お母さん、あれから誰かの髪でも切っていたのかしら?)
私は、不思議に思った。私の記憶に残っていたよりもさらにてきぱきと髪を捌いていた様に感じられたからだ。
「お母さん、ティアのこの髪とっても好きよ」
母は言った。そう、昔も髪を切ってもらう度にそう言ってくれていた。だから、それ自体は珍しいことではなかったけれど、いつ言われてもうれしいものだった。
しかしこの日はそれだけでは終わらなかった。
「ティアのこの髪の色は、ジルとお母さんの二人の髪の色を受け継いでいるのだから」
「ジル・・・って、お父さんの名前?」
「ええ。ジル=マナリス、あなたのお父さんの名前よ」
初耳だった。父の名前も、父の髪の色の事も。
それから、母は私の髪を切る手を休めることもなく、父との思い出を語ってくれた。
最初の出会いは、セシュの村の近くだったそうだ。何も知らず森に入ってきた父を、母も含めてセシュの村の住民が弓を構えて包囲した。しかし、父はあわてることもなく森に踏み入った非礼をわび、そのまま即座に森を出て行ったのだそうだ。その振る舞いに心を奪われて、それからしばらくした後に母も村から出て行った。
それからは、父の姿を追い求めて冒険者となったのだが、父が別の冒険者の一員であったことを知るや即座にその冒険者から離脱し、父と同じ冒険者グループに入ったのだった。
そのパーティは一定の成果を挙げて行ったのだが、母もその中で精霊使いとしての、レンジャーとしての、そして戦士としての腕をあげていった。特に剣の腕前の上達は多分に父の手ほどきに負うことが多かったらしい。
しかし、母のそんな冒険者稼業も終わりを告げるときが来た。子を身篭ったのだ。それを知ったときの母の身の処し方は早かった。冒険者から完全に足を洗い、セシュの村に帰ったのだ。
父は最初こそ母と一緒に村に行くと言い張っていたのだが、母はそれを断った。エルフは人間が入り込むことを快く思わない。父が村に入ったら、必ず排される。
そして、そのときの父の決断も早かった。エルフ村の住民の対応を身をもって知っていたからだった。
母はセシュの村に戻った。しかし、そんな母を待ち受けていたのは村を捨て人間世界に汚された者に向けられる、エルフの村人たちの白い視線だった。
しかし、そんな村人の嫌がらせにも、母は耐えて見せた。
母はそのまま村のはずれに居を構え、ハーフエルフの女児を出産した。それが私だった。母は娘の私にエルフ式の名前ではなく、父の住む土地の慣わしに従い、「ティア」という名前だけでなく、夫と同じ「マナリス」の姓を付けた。セシュ村の人からの反感を承知の上で・・・。
私は、そんな母の話を聞きながら、涙を流していた。母と父の愛情の深さ、母の私に対する愛情の深さ、そしてエルフと人間の間に芽生えた恋の儚さに。それは、今の私の恋にも言えることだろう。私は、許されざる恋をしたのだろうか?
「ジルは、私と別れても連絡をしてくれるといってくれた。でも、結局一回も連絡してくれることはなかった。きっと、私のことを忘れたのではない、連絡したくでもできなかったのだと思うの・・・。私は、そう信じてる。だって、ジルは約束を必ず守る人だったから」
母は、そこで話を締めくくった。
私は、無性に父に会いたくなってきた。私は、母はもちろん、この世に私という命を産み落としてくれたもう一人の当事者である父にも感謝している。
でも、父は、どのような思いで母を抱いたのだろう。一度聞かずにはいられない心境だった。
「それで、お父さんは・・・?」
そこで、私は言いよどんでしまった。何をどのように聞いたらいいか分からなかったのかもしれない。
「今もしジルが生きていたら、73歳。人間であるジルが生きているのかどうか、それすら疑わしいわね・・・。」
その母の答えは、私が欲していた回答かもしれなかった。
父と会いたい。とても会いたい。でも、それは一生実現できないかもしれない。
しかし、先ほどの思いは、実際に父に聞かない限り私に分かることではないだろう。もしかしたら、聞いてもわからないかもしれない。
それから少しの間、その場を沈黙が支配した。
「ありがとう、お母さん。私にこんないい話を聞かせてくれて」
しばらくして、私は母に礼を言った。
「何言ってるの。私はいつかあなたにしないといけない話をして聞かせただけなのに」
母は、笑い声を上げながら返した。
私もそれにつられてつい笑ってしまった。
それからずっと、髪を切り終わっても、母は私に父の話を聞かせてくれた。
私はあるときは笑い、あるときは驚きながら、母の話に聞き入っていた。
母が話を切り上げ宿に帰る支度を始めたのは、もう日が傾き、西の空が赤く染まり始めたときだった。

そして、ついにファンの街と、母と別れるその日がやってきた。
本当は、このままずっと母の元にいたかった。
でも、母と私を取り巻く環境は、それを許さなかった。
私はSMSの一隊長としての役目もあるし、今まで世話になり続けた冒険仲間への恩返しもしなければならなかった。母にもリュウゼンの小間使いとしての仕事があり、いつまでも私に構ってばかりいることは出来ないのは明白だった。
私は、母と肩を並べてファンの町の西門に向かった。
どうやら母は私が街を出るまで見送ってくれるらしかった。
少しでも別れを先延ばししたかった私にとってはありがたいことだった。
もちろん、宿から門までの間も、私たちは時間を惜しむかのように話し続けた。
そして、西の門がすぐそこに見えてきた。母は門を出ると、私に声をかけてきた。
「本当に、遠くから会いに来てくれてありがとう。」
「何言ってるの、お母さん。娘が母親に会いに来るのは当たり前のことじゃない」
母の言葉に、私は笑いながら答えた。
そして、今度は私のほうから母にお礼を言った。
「お母さんも、私のためだけに時間を割いてくれてありがとう」
すると、母も
「何言ってるの、ティア。わざわざ遠くから娘が母親に会いに来てくれたのですもの、時間を割くのは当たり前のことじゃない」
と返した。
私の口調に似せた母の答えに、私はくすっと笑った。それにつられたかのように、母も微笑を漏らした。
そして、ついにこらえきれなくなって、二人同時に大きく笑い始めた。
しばらくそうして笑っていたが、ふと思い出して、私は取って置きの物を懐から取り出した。
「そうそう、これはお母さんへのプレゼント。受け取って?」
そういいながら私が母に渡したものは、私の絵が納まったペンダントだった。母の目を盗んでこのペンダントを買い、ペンダントに収める肖像画を描いてもらうためにわざわざファンでも有名な画家に魔術師ギルドに来てもらったのだ。
母は早速ペンダントのふたを開けると、熱いものがこみ上げてきたのか、そっと目頭を押さえた。すると、母もやはり懐から何かを取り出して私に手渡した。
「これはティアへのお母さんのプレゼント。受け取ってくれるわね?」
私はいぶかしみながら今さっき渡されたものを見た。私がさっき母に渡したものとそっくりのペンダントだった。そっとふたを開けてみると、そこには母の肖像画家描かれていた。
私は驚いた顔を母に向けた。母は少し首を傾げながら暖かい微笑を浮かべて私を見ていた。
私も何か熱いものがこみ上げてきた。そっと目頭を押さえ、涙声になりながら言った。
「お母さん、ありがとう、お母さん・・・」
そんな私を見て、母は苦笑しながらハンカチで私の目頭を押さえて言った。
「あらあら・・・。あなたのかわいい顔が台無しよ?」
そのせりふが、久しぶりの再会のときに母が言った言葉と似ていたのを思い出して、私は涙を浮かべながら笑った。

「じゃあ、そろそろタラントに帰るね、お母さん」
私は自分のほうからそう切り出した。
「そうね。ティアもタラントでしないといけない仕事もあるものね」
母はそういうと、
「では、また会いましょう。今度は遠い未来ではなく、近い将来に」
永久を永久と感じないエルフらしからぬ言葉で私に約束してくれた。
「うん、約束だよ?」
それに対して、私は力強くうなずいた。
「じゃあ、気をつけて帰るのよ?」
「私はもう大丈夫よ、お母さん。今はこれがあるから」
些か心配そうに言った母に対し、私は腰に付けたレイピアと背中に括り付けた魔術師の杖をたたいてそういった。
「では、行きなさい、ティア。私はティアの姿が見えなくなるまでここで見送っているから」
母が言うと、私はそっと母に歩み寄り、両手を母の背中に回しながら言った。
「じゃあね、お母さん、また会う日まで」
「また会う日まで」
母はそういうと、左手を私の背中に回しながら右手で私の頭をなでてくれた。
しばらく抱き合ったあと、母と私はどちらからというでもなくお互いを解放した。
「では、行って来ます、お母さん」
「いってらっしゃい、ティア」
私と母は、普通の家庭で毎日のように交わされる別れの言葉を口にした。
久しぶりに再会を果たした二人が別れる時にお互いが発した言葉は、もしかしたらお互い近い将来に会おうという意思表示かもしれなかった。
兎にも角にも、私は後ろ髪をひかれる思いを断ち切るようにくるりと反対側を見ると、じっと見送ってくれるだろう母の視線を背中に受けながら歩み始めた。
そして、ファンへの道中でクックルに語りかけた場所まで来て、私は視線を今来た道のほうへ、ファンの街のほうへ、じっと見送ってくれているはずの母のほうへ向けた。
その姿はだいぶ小さくなっていたが、間違いなく母は門の傍に佇みじっとこちらを見つめていた。
私は遠くにいる母に声を届けようと、シルフに呼びかけて、エルフ語で言った。
『ありがとう、お母さん!』
しばらくすると、今まで静かだったこの場所を微風が駆け抜け、母の声が届いた。
『ありがとう、ティア!』
その言葉は、やはりエルフ語だった。
私はうれしくなって、その場で飛び跳ねながら母に向けて両手を振った。
それに応えて母も私に対して右手を振ってくれた。
私はそんな母の姿を認めると、再びファンの街に背を向けて歩き始めた。

今回の旅で、私はかけがえのないものを取り戻すとともに、私にとって大事なものを再認識したように思った。
これからは、どこにいても母とともにいる、そして今まで頼りにしてくれた仲間たちも私のことを心のうちから支えてくれるだろう。
私は、肩にとまっていたクックルを右手に乗せると、その手を私の顔の前に持って来た。
そして目の前にいるクックルに語りかけた。
「私は、もう大丈夫。これからは傍にお母さんがいなくても。だって、心のうちに母がいるんだもの」
そう思うことが出来るようになったのは、今回の旅で母娘の絆を取り戻すことが出来たからだろう。
クックルも今回のことで一件落着したことを喜ぶかのように、喉を鳴らした。
私はしばらくの間その場に佇んでいたが、
「さあ、クックル、タラントに帰りましょう。皆がいるタラントへ!」
そういいながら、クックルを乗せた手を前に押しやった。
それにつられて、クックルの私の手を離れ、前に向かって飛び出した。
私はそんなクックルを見つめながら決心した。
(これからは、先だけを見据えて生きていこう。もう、過去を振り返る必要はなくなったのだから。)
そう、そのために、未来を一緒に歩むこれから一緒に仲間が待つタラントに戻ろう。
そして私も、クックルのあとを追うように駆け出した。一路タラントに向かって。


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