2005.1.16 記

「被害地の周辺地域」の苦労 〜 阪神大震災10周年を機に思い出す

平成7年(1995年)1月17日5時46分。神戸を直下型地震が襲う。

日本中が衝撃に震えたあの大震災から10年が経とうとしています。
昨年は新潟県中越地方でも震度7を記録するなどしました。
そのときの報道では、地震により直接の被害を蒙った地域の報道は全国的に流れましたが、意外とその周辺地域のことは知られていないのではないか?と感じました。
そこで、阪神大震災10周年を迎えることもあるので、(震災地域の苦労と比べると取るに足らないものばかりですが)震災周辺地域の苦労を書き述べようと思います。

  1. 地震による直接の被害
  2. 状況

    当時、私は兵庫県三田(さんだ)市に住んでいました。三田についての説明はこちらに譲りますが、神戸市からは六甲山を越えて北に約25キロという距離に位置し、同じく震災により大きな被害が出た宝塚市よりも震源に近いところにあります。
    その三田市の震度は、当時の基準で5。現在の基準で言うと、おそらく震度5弱というところになるのではないかと思います。

    三田市での被害は、建物への被害が2軒ほどではなかったかと思います。その2軒も、相当老朽化が進んでいたということでした。
    そう考えると、三田市の被害は神戸市や宝塚市と比べると相当軽微で済んだと考えていいと思います。
    かくいう私の家も、玄関にあった木の置物が落ちて直径5ミリほどの凹みを作った程度で、被害という被害はありませんでした。
    しかし、三田市の住民が苦労する場面は、これよりもあとになるのでした。

  3. 生活必需品
  4. 状況

    三田市民にとって、一番苦労したのは生活必需品の確保だったのではないかと思います。
    今回、阪神間の輸送路が軒並みダウンした関係で、六甲山以北の物資が不足したのです。
    この地域は阪神地域のベッドタウンであるために、一度輸送路がダウンしてしまうと、たちまち物不足になってしまいます。
    特に、カップラーメンなどの即席麺や乾電池、携帯ラジオのようなものはどの店に行っても売り切れという状況。スーパーマーケットも普段よりも早く14時15時には閉店してしまうという店が続出しました。
    そんなわけで、三田市内にいたのでは食べていけなくなるため、三田市民も結局はより遠くまで行って食料を調達しないといけなくなりました。篠山町(現篠山市)や柏原町、氷上町(ともに現丹波市)、社町など、近隣の町村のスーパーを回った日もありました。人によっては、はるばる岡山まで買出しに行った人もいるようでした。

    教訓

    もしものときのために、非常用の食料は備蓄しましょう!

  5. 交通手段
  6. 1995年(平成7年)1月28日現在の主な鉄道の開通状況
    (赤線部分は未開通)

    状況

    神戸は、東海道・山陽本線、山陽新幹線、阪急電鉄、阪神電鉄、神戸高速鉄道、山陽電鉄、そして阪神高速、国道2号線、国道43号線が通るという、言うまでもなく、西日本の大動脈の上にあるとともに、明石・姫路方面から大阪への通勤経路でもあります。
    しかし、阪神大震災によって、これらの交通が完全にストップ。兵庫県西部と大阪を結ぶ交通手段がほぼ奪われてしまったのです。
    一方、大幅に遠回りではあるものの、北周りの経路は比較的早期に復旧しました。
    地震発生の2日後に当たる19日には、福知山線(JR)の宝塚・広野間、宝塚線(阪急)の雲雀丘花屋敷・宝塚間が復旧し、兵庫県北部と大阪を直接結ぶルートが使用可能となり、さらに2日経った21日には福知山線(JR)塚口・宝塚間が開通して福知山線が全面的に復旧すると、にわかに明石・姫路方面と大阪を結ぶための代替交通機関として注目を浴びました。 つまり、一旦加古川に出た上で、加古川線(JR)を利用して一旦谷川まで北上し、そこから福知山線を利用して大阪に出るルートです。姫路方面からだとそのほかに播但線(JR)で和田山まで出て、山陰本線(JR)、福知山線を使って大阪に行くというルートも利用できました。
    しかし、篠山口以北の福知山線の輸送力は、とても大阪・明石間の輸送力にはかないません。
    何しろ、明石・大阪間は新快速と快速が1時間に4本ずつ、普通電車も4〜8本ほどはありました。
    一方、福知山・谷川から篠山口間は、大阪まで直通する電車が快速1本、特急も1本。単純計算で8分の1〜6分の1しかありません。
    そういう状況でしたから、篠山口以北から来る電車は、いつにも増して超満員でした。普段なら難なく座れる程度しか乗客が乗っていなかったのが、このときばかりは昼間でも通勤電車以上の混み具合でした。
    自然、三田市民は篠山口始発の電車を選んで乗るようになりました。(一応新三田駅始発の電車もありましたが、私にとっては家から毎日利用するにはあまりに遠いので、代替の利用駅とはなりえませんでした。)
    しかし、大阪に着くまでに下車しないといけない乗客にとっては、これだけではすまない状況が待っていました。
    今度は三田駅で、神戸市北部から大阪方面に向かう人が大勢乗ってくるのです。これで、福知山始発の電車と似たような状況が、篠山口始発の電車での起きてしまうのです。こうなったら、もう降りるに降りれなくなってしまいます。1月28日から、新幹線の代替交通機関として三田・姫路間でバスが運行されたこともそれに拍車をかけたように思います。
    しかも、地震が発生したのは寒さが厳しい冬でした。山陰本線は積雪や強風のために列車が遅れたり運休したりというのが良くあります。そうなると、大阪始発の電車もそのあおりを受けて、遅れが生じたり、最悪の場合は運休したりすることもありました。こうなると、帰りの電車も非常に厳しい状況になります。結局、混雑を予想して30分早めに駅に来て並んでいて、さらに30分多く待たされるということさえありました。
    多くの三田市民にとって、福知山線は間違いなく生活には欠かせない路線です。しかし、新三田駅以北は極端に本数が少なく、新三田・篠山口が1時間に2本(特急を含めて3本)、篠山口・福知山間が1時間に1本(同2本)。こういう路線が大都市間を走る鉄道の代替手段となってしまったら、沿線の住民にとっても大きな影響を受けてしまうのです。

    教訓

    迂回ルートとして利用する人も沿線の人も、不要不急の用事で交通機関を利用するのは控えましょう!

  7. 最後に・・・
  8. あの阪神大震災が三田市にもたらしたものは、確かに小さなものではなかったと思います。しかし、震災の中心地の被害は、三田市のそれとは比較にならない大きなもので、その被害の状況は、神戸をはじめとした阪神地域と深いつながりがある三田の住民にも大きな衝撃が伝わりました。
    阪神高速が横倒しになった光景。
    高速道路からバスが落ちそうになっている光景。
    長田区の菅原商店街が炎上している光景。
    そして何より私やその家族が衝撃に感じたのは、三宮センター街のアーケードが燃えている光景や、昔よく利用していた阪急伊丹駅が真っ二つになっている光景、そして三宮の町の車道や歩道が見るも無残に破壊されている光景。
    正直、もう二度と見たくない光景ばかりです。
    でも、地震国・日本で生まれ育った以上、これは避けられない運命なのかもしれないですね・・・。

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